陶の里 市之倉

市之倉の魅力

市之倉は名古屋市からほど近い緑豊かな山々に囲まれた陶の里「市之倉」。
町の中央に市之倉川が流れ、春には桜やシデコブシの花が咲き、秋には紅葉が町を彩ります。
町を見下ろす秋葉山には火の神:秋葉様が祀られ、その麓には市之倉の中興の祖といわれる加藤与左衛門常政の碑が建立されています。

町内には、開窯200年の歴史を誇る「幸兵衞窯」や古い工房や手描きの技が見られる「幸輔窯」、鮮やかな織部や鼠志野が並ぶ「玉山窯」など、特徴ある窯元が多数点在しています。散策しながらお気に入りの窯元を見つけるのも楽しみのひとつです。
毎年4月に陶祖祭、10月には陶の里フェスティバル(陶器市)が行われ、多くの陶芸ファンで賑わいます。

また、2009年3月~フランスのミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの格付けで、幸兵衛窯が★★(2ツ星)に認定され、周辺のさかづき美術館、作陶館、レストランなどがガイドブックに掲載されました。お近くへお越しの際はぜひお立ち寄りください。

インフォメーション

市之倉の中心に位置する当館では、市之倉の窯元散策マップをご用意しております。お越しの際は、お気軽にご相談ください。
※直接窯元を訪ねる場合は、営業日時をご確認ください。

ボランティアガイドについて

美術館または町内周辺の観光ガイドをご希望の方は、「市之倉ボランティアガイド」さんをご紹介いたします。2週間前までに予約が必要となりますので、早めにお電話でご相談ください。 (※ガイドは少人数で行っておりますので、必ずしも同行できるとは限りません。ご了承ください。)

市之倉さかづき美術館

受付時間: 10時~17時
定休日: 火曜
 (祝日の場合は振替休館あり)
TEL: 0572-24-5911

市之倉の歴史

市之倉町は、平安の昔から窯の火を絶やさずやきものをつくり続けてきた窯元の集落です。
古くは白瓷系陶器(通称山茶碗)が山の斜面を利用した穴窯で焼かれていました。江戸初期には加藤与左衛門常政が広見山で遠州光明山の祭礼用に土器を焼いたことで陶業中興の祖ともいわれています。
1804年に美濃の窯では市之倉が初めて磁器を焼くことが許可されると、従来の本業焼から脱皮した美しい白磁を焼くようになりました。
1820年頃にほぼ完成された染付磁器を焼き、江戸城本丸をはじめ京都の村雲御所に御用陶器を納めていました。
より質の高い製品を作るため、有田焼や清水焼をめざした絵付け技術の向上がはかられ、京都周辺から来た画工や、筆の立つ尾張藩下級武士が染付の仕事に従事したようです。
市之倉西端にある熊野神社の拝殿建立の際には、彼ら画工によって80 枚の日本画が描かれ、絵天井になって奉納されました。
140年以上たった今でも、この絵天井からは当時の画工たちの気概が感じられます。この新風が後の市之倉にとって大きな存在となる、加藤五輔をはじめとする数々の名工を生むことになっていきます。

現代の市之倉

戦後、市之倉は急速に陶芸家の活躍がめざましくなり、多様な作品、技法が生み出されました。なかでも、故加藤卓男は古代ペルシャ陶ラスター彩や三彩の復元、高い芸術性を持つ移民文化と日本文化との融合の成功で人間国宝に認定されました。そのほか、安藤日出武、玉置保夫、七代加藤幸兵衛など先人達の気概と伝統を受け継いだ多くの陶芸家や多治見で学んだ若手陶芸家らが活躍しています。
また、町内には50軒ほどの窯元が点在し、伝統に新たな時代の息吹を吹き込みつつ、やきものを作り続けています。

【平成の陶天井】
先人の想いを受け、引き継いでいくために、1997年(平成9年)、地元の陶芸家や職人たちの手によって80枚の陶板が制作され、2007年(平成19年)八幡神社の境内に奉納されました。町内散策の折にはぜひここで一息ついて、歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょう。

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